
北関東の医療・介護施設が「選ばれる職場」になるための人事施策
北関東の医療・介護施設が「選ばれる職場」になるための人事施策
「募集しても来ない。来ても続かない。続いても疲弊していく」——北関東のある介護施設の施設長が、ため息交じりに語った言葉です。看護師、介護福祉士、理学療法士、作業療法士——医療・介護の専門職は、北関東に限らず全国的に不足しています。しかし、北関東には独自の難しさがあります。
群馬、栃木、茨城の3県は、高齢化率が全国平均を上回るペースで進行しています。医療・介護の需要は増え続ける一方で、若い世代の人口は減り続けている。しかも、東京に通勤可能な距離にあるため、資格を持った専門職が東京の給与水準に引き寄せられて流出しやすい。
私がこの10年間で医療・介護分野の人事支援を40施設以上行ってきた中で確信しているのは、「人が集まらない」と嘆くだけでは何も変わらないということです。「選ばれる職場」を意図的に作る。そのための人事施策を、経営数字の視点から設計する。この姿勢が、北関東の医療・介護施設に求められています。
医療・介護の人材不足を「経営課題」として捉え直す
医療・介護施設の経営者や管理者と話していると、人材不足を「業界全体の問題」として捉えている方が多い。確かに構造的な問題ではありますが、だからといって個々の施設に打ち手がないわけではありません。
「一人当たりの経済価値」を計算する。
看護師1人、介護福祉士1人が不足することで、施設の経営にどれだけの影響があるか。この計算をしていない施設が多いのが実態です。
たとえば、ある介護施設で介護職員が1名不足し、ベッド稼働率が95%から90%に低下したとします。入所定員50床、月額利用料が一人あたり20万円だとすると、稼働率5%の低下は月額50万円、年間600万円の収入減です。
逆に言えば、その1名を採用するために年間200万円の投資(採用コスト+処遇改善費)をしたとしても、400万円のリターンがある。人材確保を「コスト」ではなく「投資」として見る視点が、経営者の意思決定を変えます。
「離職コスト」を可視化する。
人が辞めることのコストを、多くの施設は過小評価しています。採用にかかる直接費用(求人広告費、紹介料)だけでなく、引き継ぎ期間の生産性低下、残されたスタッフへの負荷増、新人の教育にかかる時間——これらを合計すると、1名の離職あたりのコストは年収の半分から同等に達するとも言われています。
つまり、年収400万円のスタッフが1名離職した場合、200〜400万円のコストが発生する。これを「仕方ない」で済ませるのか、「防止するための投資」を行うのか。経営判断としてどちらが合理的かは明白です。
「辞めない職場」を作るための5つの施策
採用を強化することも大切ですが、まず取り組むべきは「辞めない職場」を作ることです。穴の空いたバケツに水を注いでも、たまりません。
施策1:業務の「見える化」と「標準化」。
医療・介護の現場では、「ベテランだからできる」「あの人にしかわからない」という属人化が起きがちです。これが、スタッフへの業務の偏りを生み、一部のスタッフの過重負担につながっています。
宇都宮市のある介護施設では、全業務を「日常業務マニュアル」として文書化するプロジェクトを実施しました。入浴介助の手順、食事介助の注意点、記録の書き方、夜間の対応フロー——すべてを写真付きのマニュアルにまとめた。これにより、新人の独り立ちまでの期間が平均3ヶ月から2ヶ月に短縮されただけでなく、ベテランスタッフの「自分がいないと回らない」というプレッシャーも軽減されました。
施策2:「ありがとう」が見える仕組みを作る。
医療・介護の仕事は、精神的にも肉体的にも負荷が高い。しかし、利用者やその家族からの「ありがとう」の言葉は、スタッフにとって何よりの報酬です。問題は、この「ありがとう」が個人の中に留まりがちで、組織として共有されないことです。
茨城のあるデイサービス事業所では、「ありがとうボード」を設置しました。利用者や家族からの感謝の言葉、スタッフ同士の感謝のメッセージを付箋に書いて貼り出す。月に一度の全体ミーティングで、特に印象的なメッセージを紹介する。シンプルな仕組みですが、「自分の仕事が認められている」という実感がスタッフの心を支えています。
施策3:キャリアパスを明確に示す。
医療・介護の専門職にとって、「この施設にいて、自分はどう成長できるのか」は大きな関心事です。介護職であれば、介護福祉士の資格取得支援、ケアマネジャーへのステップアップ、リーダー職への昇格——明確なキャリアパスを示すことが、定着の大きな動機になります。
群馬のある特別養護老人ホームでは、「5段階のキャリアラダー」を導入しました。各段階で求められるスキルと、対応する給与レンジ、必要な研修を明示。入職時のオリエンテーションで「あなたのキャリアの道筋」を個別に説明します。このキャリアラダーにより、「この施設にいれば着実にスキルアップできる」という安心感が生まれ、離職率が大幅に改善しました。
施策4:メンタルヘルスケアの仕組みを整える。
医療・介護の現場は、バーンアウト(燃え尽き症候群)のリスクが高い職種です。利用者の死に立ち会う、暴言・暴力への対応、夜勤の負担——こうしたストレス要因に対して、組織的なケアの仕組みが必要です。
月に一度のストレスチェック、外部カウンセラーとの相談窓口の設置、デスカンファレンス(看取り後の振り返りの場)の実施、管理職向けのラインケア研修——これらの施策は、大きなコストをかけずに導入できるものが多い。
栃木のある病院では、年に2回の「セルフケア研修」を全職員に実施しています。ストレスの自己管理法、リラクゼーション技法、同僚とのピアサポートの方法——「自分のメンタルヘルスは自分で守る」というスキルを身につけてもらうことが目的です。研修後のアンケートでは、「自分が疲れていることに気づけるようになった」「同僚に声をかけやすくなった」という声が多く寄せられています。
施策5:ワークライフバランスの実質的な改善。
「ワークライフバランス」は言葉だけが先行しがちですが、医療・介護の現場では具体的な改善が求められます。
最も効果的なのは、シフト管理の改善です。希望休が通りやすい仕組み、夜勤の公平な配分、急な欠勤に対するバックアップ体制——こうした「日常の不満」を解消することが、大きな施策よりも効果的な場合があります。
水戸市のある介護施設では、シフト作成をAIツールで自動化しました。スタッフの希望、資格要件、労働時間の制限、夜勤の頻度制限——これらの条件を入力すれば、最適なシフトを自動生成する。シフト作成にかかる管理者の時間が月20時間から2時間に短縮されただけでなく、「希望が通りやすくなった」とスタッフの満足度も向上しました。
採用力を高めるための「差別化」
辞めない職場を作った上で、次は採用力の強化です。北関東の医療・介護施設が、他の施設と差別化するためのポイントを考えます。
「処遇」の透明性。
給与テーブル、各種手当の内容と金額、昇給の仕組み、賞与の算定基準——これらの情報を採用の段階で明確に提示することが、信頼につながります。「入ってみないとわからない」ではなく、「入る前にすべてわかる」状態を作ること。
「教育体制」のアピール。
新人教育のプログラムを具体的に示すこと。「プリセプター制度があります」だけでなく、「入職後3ヶ月間、専任の先輩がマンツーマンで指導します。月に1回の振り返り面談があり、習熟度に応じて段階的に業務範囲を広げていきます」——この具体性が、未経験者や若手の不安を解消します。
「理念」を実践で示す。
「利用者中心のケア」「地域に根ざした医療」——多くの施設が掲げる理念ですが、それが実際の日常にどう表れているかを示すことが大切です。理念を語るのではなく、理念が実現されている場面を見せる。施設見学の充実、スタッフインタビューの動画配信、SNSでの日常の発信——具体的なエピソードが、求職者の心を動かします。
地域との連携で人材を育てる
北関東の医療・介護施設は、地域の教育機関や行政との連携を通じて、中長期的な人材パイプラインを構築することができます。
看護学校・介護福祉士養成校との連携。
実習の受け入れは、最も効果的な採用チャネルのひとつです。しかし、「実習に来た学生を放置する」施設が少なくありません。実習指導の質が、そのまま採用につながることを意識する必要があります。
実習生に対して丁寧に指導し、「この施設で働きたい」と思ってもらえる経験を提供する。実習終了後も、定期的に連絡を取り、就職活動の相談に乗る。この「手間」をかけた施設とそうでない施設では、実習後の就職率に明確な差が出ています。
「介護職」の社会的イメージ向上への貢献。
地域の小中学校での「介護の仕事体験」の開催、地域のイベントでの介護技術のデモンストレーション——こうした活動は、長期的に見て「介護の仕事に興味を持つ人」を増やすことにつながります。
「選ばれる職場」は「数字」で作る
医療・介護施設の人事施策は、「優しさ」や「思いやり」だけでは成立しません。離職率の推移、採用充足率、ベッド稼働率、職員一人当たりの売上高——こうした経営数字を基に、人事施策の効果を検証し、改善し続けることが必要です。
北関東の高齢化は今後さらに進みます。その中で、地域の医療・介護を支える人材を確保し続けることは、単なる経営課題ではなく、地域社会の持続可能性に関わる問題です。
「選ばれる職場」は、一朝一夕にはできません。しかし、今日から始められることは確実にあります。まずは自施設の現状を数字で把握し、一つずつ改善を積み重ねていく。その地道な取り組みが、3年後、5年後の人材確保の基盤を作ります。北関東の医療・介護を支える人が、誇りを持って働ける職場を作ること。それが、人事に携わる者としての私たちの責任です。
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